娘をかわいいと思えるようになったのは

このコラムでは、「娘をかわいいと思えなかったこと」について悩んでいた私が、どんどん娘をかわいいと思えるようになっていった軌跡について書いていきたいと思います。

文章が整っていないところや読みづらい部分があるかもしれませんが、良かったらお読みくださいね。

私は娘が生まれてから、かわいいと思うよりも、辛い、苦しいと感じることの方が多い日々でした

まず、初めての子育てで何をどうすればいいかということもわからなかったし、母乳育児にこだわっていたりもしたので、こうでなければならないということに、縛られていることもとても多かったです。

特に、乳腺炎に3回なってしまったり、その最中に、胸に傷ができて血だらけになりながら、授乳をしていたりということがあったり。

そんな時には授乳後に、10分間くらいうずくまっていないと息ができないほどの痛みでした。

けれども、母乳育児にこだわると、そんな状態でも母乳をあげないと乳腺炎がよくならないと指導され、痛みをこらえるために割り箸を口にはさんで我慢することもしばしばでした。

さらに、娘が本当に夜寝ない子で、四ヶ月くらいにはいると落ちつくよと言われていたのですが、最初の一年は、結局毎晩6、7回起き続け、続けて5時間寝られたのは、たったの2日でした。

いろいろと本を読んだり、頂いたアドバイスを試してもなんの効果もなく、「いつか落ち着くから~」という言葉を聞く度に“その前に私がおかしくなってるよ!”と思ったものでした。

振り返ると、本当に痛みや辛かったことが思い出されるのですが、チャイルドセラピーを学んでから、そういう経験をしてしまう根っこ(原因)のようなものがわかってきました。

その根っこの話の前に、私自身のインナーチャイルドのことを少し書いてみたいと思います。

私は、小さい頃から子供が大嫌いでした

記憶にあるのは、自分が小学生の頃から自分より小さい子をみると、すごく憎たらしいと感じていたことです。

どうしてそうなのかはわかりませんが、うらやましいなと感じたことも覚えています。

その感覚は、大人になってもあまり変わらず、例えばエレベーターの中で、小さな子供にじーっと見られると、“何見てるのよっ”と、いらっとしたものでした。

そういう状態だったので、結婚しても子供を持ちたいとはなかなか思えないでいました。

それに、こんな状態では自分はきちんと子育て出来ないのではないかという不安も・・・。

そんな私でしたが、心の世界に触れ、コーチングに出会い、どんどんと生きるのが楽しくなるに連れて、子供を産んでみたいと漠然と思うようになりました。

今思うのは、心理学やコーチングを通して、自分の中の傷や痛みが少しづつ癒え、そしてまた自分の魂がどんな風に生きたいのか、そういったことを自分自身でわかるようになっていったことがその変化につながったのだと思います。

生きることがどんどん楽しくなっていった私ですが、それでも母との関係では、まだ葛藤を抱えていました。

「お母さんはいつも私を認めてくれない。」

「お母さんは私のことをわかってくれない。」

母に何か注意されると、いつも非難されているように聞こえ、大好きな「お母さん」のはずなのに、いつも何かボタンを掛け違えているようなコミュニケーションや関係性にとても寂しさを感じていました。

私が、“母は私のことを認めてくれない”と思うようになったきっかけは、やはり小さい頃(小学校)のテストに関することだったと思います。

私の母は、テストで100点をとらないと褒めてくれず、98点でも99点でもよくやったねとは言ってくれなかったのです。

その頃、父と母の関係もそれほど良くなかったので、私が母を守りたい、笑顔にしたい、この家の空気を明るくしたいと思っていました。

その頃の私にとって、そのための方法がテストで100点をとることだったのです。

(中学・高校と進むにつれ、100点なんて、とれるものではなくなっていきましたが笑・・)

けれども本当は98点でも99点でも、たとえそれが70点でも80点でも褒めて欲しかったですし、よくやったねと笑顔を見せて欲しかった。

けれど100点をとらないと褒めてくれないので、私はいつしか常に100点でなければならない、常に完璧でなければならないと思うようになっていった気がします。

自分の大好きなお母さんに対して、わかってくれないという苛立ちを感じること、なんでそんな言い方をするの!と責めたくなること、それは本当は母に対してというより、私本人がそう反応してしまうことにとても苦しさを感じ、恩ある親に対してそんなふうに感じてしまう自分自身を責めてしまっていたと今はわかります。

(このあたりのことは、バーストラウマも深く関係するのですが、今回は割愛しますね!長くなってしまうので。)

世の中には、様々な状況の人がいて、もっと辛い出来事の中で子供時代を過ごされた方もいらっしゃると思います。

ですが、人の痛みはその人だけの痛み。

そこに、比較は存在しません。

私は、「認めてもらえない」という痛みが、いつも私の思考に影響を与えていたことを実感しています。

大人になっても、まだ母に褒められたい、まだ母に認めてもらいたいという思い

大人になっても、自分が子供を持っても、まだ母に褒められたい、まだ母に認めてもらいたいという思いが強かった私ですが、そういった思いが結局、娘を育てる時にも影響していたことが、今はとても良くわかります。

娘を育てる上でもきちんとやらなければならない、完璧にやらなければならない、上手くやらなければならない、そんな思いが強くて振り返ると、娘の可愛さを味わう余裕もなかったような気がします。

そんな余裕のない私の状態を、娘が映し出していたということもあったのかもしれません。

ここで娘が寝なかったことに話が戻るのですが、娘が夜寝ないということでは、ほんっとうに悩みましたし、苦しみました。

本を読んで良いと思うことをやってみても、人からもらったアドバイスをやってみても、全く変化が無かったのです。

誰に相談しても、本を読んでも解決策が全く見つからず、時期がくれば落ちつくから、いつかは終わるからと言われても、そう言われると「その前に、私が病気になってるか、死んでるよっ」と心の中で呟いていたものです…。

その「いつか」がわからないということが、ものすごく私には苦しかった。

それに、昼間は昼間で、やはりやらなければいけないことはありますし、昼間赤ちゃんと一緒に昼寝をすればいいと言われ、もちろんそうしようとしましたが、あまりに睡眠不足が続き、自律神経が乱れているので、横になっても眠れないのです。

昼寝の時間、1、2時間の間、毎回横になっても眠れずにただ時間が過ぎて行く・・・

それも本当に苦しいことでした。

そんな風に寝不足が続いていくことによって、私はどんどん鬱っぽくなっていきました。

娘のこともどんどん可愛いと思えなくなり、ベランダから投げ落としたくなったこともあります。

苦しさをぶつけるところがなく、夫と娘がいる前でタオルを床にバンバン打ちつけてみたりしたこともありました。

あの頃、もしも病院に行っていたら、きっとうつ病と診断されていたと思います。

その頃よく会っていたママ友には、「あの頃、めぐちゃん、ほんと病んでたよね~」と、今でも言われるほどです(笑)。

1歳で断乳したらよくなるかと思い、きっちり1歳でそうしたのですが、起きる回数は確かに減ったのですが、やはり引き続き3、4回は2歳になるくらいまで起き続けました。

そうこうするうちに夜泣きも頻繁にあり、2時間以上続けて泣く事が3週間続いたこともありました。

そのたびに、どうすればいいの?と思っていろいろ調べて試しても、効果がありませんでした。

夜泣きをおさめるために、夫が真冬2月の夜中2時くらいに毎晩外に連れていってくれたことを思い出します。

苦しいから、母にも相談したりもしたのですが、認められていないと思っているので、意見をされてもあなたのやり方を押しつけないで!と過剰に反応してしまっていたなあと、今は思います。

そして、言われるたびに自分はできないダメな母親だと感じてもいました。

夫が子供をかばうと、自分を大事にしてもらっていない気持ちになってしまったり、夫にそんな対応では娘がゆがんでいくと言われても、どうすればいいかわからず、私自身も更におかしくなっていくのではないかと、とても苦しかったです。

可愛く思えなくて、こんな対応をしてしまうと、娘の性格は、将来は、どうなってしまうのだろうという不安を感じていました。

今、私が提供しているセッションや講座に、あの時出会えていたらどれほど救われていたかと思います。
お母さん側にも子ども側にも有効なアプローチが実際にあり、改善する方法があったからです。
ですが、その時には出会えていなかったので、模索し続けるような日々が続いていました。

苦しさを感じているので、娘が何か失敗したり汚したりすると、私の口からは、「あなたのせいで」とか、「ママを苦しめないで」とか、「迷惑をかけないで」という言葉が出てしまっていました。

今はよくわかります。

私が私自身のことを、何かある度に「自分のせいだ」「自分は迷惑をかける」「自分はだめだ」と、思っていたと。

そんな中、娘が2歳4ヶ月の時に、下の息子が生まれたのです。

ママなのに、自分の子をかわいいと思えないなんて

下の子が生まれる時には、やはり上の子が不安定になったり孤独を感じるという話は聞いていたので、私は上の子を大事にしようとは思っていました。

かわいいと思えない時があったとしても、もちろん私にとっては大切な娘なので、下の子ばかりに目を向けず、上の娘のことも大事にしたいと思っていたのです。

ですが、実際に下の子が生まれると、むしろかわいいと思えない気持ちが強くなってしまいました。

逆に下の息子のことが本当にかわいく感じられるのです。

子育てで忙しく、自分の気持ちを整える時間を持てずに、日々の出来事に振り回されることが続いていたということも原因の一つかと思います。

娘への気持ちをどうにも出来ずに、苦しい状態がどんどん進んでしまい、悪循環に陥っている感じがしていました。

娘のことをかわいいと思えないということは、今思うと私自身、そのことにとても傷ついていたような気がします。

そして自分自身を罰する気持ちで、毎日生きていたような気がします。

ママなのに、自分の子をかわいいと思えないなんて、という風に。

私、おかしいんじゃないか。

私って愛情が人よりも薄いんじゃないか。

私って、人として、何か欠陥があるのかも・・・。

そしてそれは、いい母親、真っ当な人間でありたい、そう在らねばならないといった私の観念が強いが故に、自分のハートよりも、「こうあるべき」を全うしなければといった焦りのような、縛りのような、重苦しい感覚があり、その感覚が、娘に対して素直に感じるかわいさを歪めていたような気がします。

そうした日々が続き、このままでは本当にいけない、どうにかしなければならないと思うようになり、この状態からどうしたら抜け出せるだろうかと、いろいろ探し始めました。

そんなある日、ある講座で一緒だった仲間のブログをたまたま見ると、あるセラピーを受けたと記事に書いてあり、この時、初めてチャイルドセラピーと出会いました。

調べてみるといろいろなチャイルドセラピーがありましたが、この時に出会ったのが、“これなら、学んだら娘を本当にかわいいと思えるようになるかも”と、はじめて思えたセラピーでした。

というのは、子供との関係におけるチャイルドセラピーだけでなく、自分の内側をみていくインナーチャイルドセラピーの、両方の要素が入っている内容だったからです。

このチャイルドセラピーを学んでいくうちに、私が娘をかわいいと思えないのは、物理的に過去の寝不足の件など、肉体面で感じた苦しみからきているということもありますが、何よりも、大人である今の自分が嫌っている、もしくはダメだと思っている、小さい頃の自分の姿、要素を娘に映し出してみてしまい、反応してしまっていることがかわいいと思えない原因だとわかったのです。

さらに、バーストラウマと言って、胎児の頃や出産時の体験が、自分のものの考え方、感じ方、見方のベースになっていて、娘との関係、私の両親との関係のみならず、人間関係全般にも大きな影響を与えているということがわかりました。

<バーストラウマとは>
トラウマとは「心の傷」と訳しますが、このインナーチャイルドセッションにおけるバーストラウマは、心の傷というよりも、「否定的な勘違い・思い込み」といった意味合いです。 バランスをくずしている状態、物事や出来事のマイナス面のみ、強調して見てしまっている状態です。

そういったことを知り、自分が嫌っている小さい頃の自分を自分が受け入れていくワークを重ねていくことで、そしてまた、自分の中にいる小さな傷ついた自分に寄り添い、少しづつ癒していくことで、驚くほど、娘のことをかわいいと思えるようになっていきました。

チャイルドセラピーを学び、ワークを地道に実践していくことで、日頃どんな感情、例えば子供をかわいいと思えない、とか、そういったことを感じていようとも、そして虐待のようなことをしてしまうようなことがあったとしても、私の感情の奥底には、そして誰の感情の奥底にも、必ず「愛はある」と知ったことが、私にとって、とても大きな出来事であり、感動したことだったのです。

その原因はたいていの場合ママが自分自身に許していない部分に関わるもの

子供を可愛いと思っていないママは、心の底では、つまり潜在意識では自分のことをダメなママとしてとても責めていると思います。

もちろん、顕在意識(自分がわかっている意識)でご自分を責めている方も多いのではないでしょうか。

その後、セラピーの他に、心理学や量子力学の学び等をさらに深めていく中で気づいたのは、かわいいと思えないのにも原因があり、その原因は大抵の場合、ママが自分自身に許していない部分に関わるものだということでした。

つまり、自分の中の嫌っている要素だったり(わがまま、はっきり物を言わない、甘えている、いじけている等々)、自分自身に禁止したりしていること(泣く、素直に気持ちを表現する、甘える、嫌う、怒る等々)を子供がすると、自分の中にある「痛み」に反応して、これ以上見たくない、傷つきたくないとばかりに心にシャッターがおり、強い拒否感を感じないようにすると共にかわいいという感情すらも感じられなくなってしまうのです。

大人である私達は、人のこともそうですが、自分自身のこともジャッジしています。

「こうあるべき」から自分が外れていると感じる時、自分のことをとても責めます。

子供を育てていて何か問題が起きると、単なる成長の過程、その子の個性であることがほとんどであるにも関わらず、「私の性格がこうだから・・・」「私の育て方、関わり方が悪いから・・・」と思ってしまったりするのです。

では、ジャッジはどこから生まれているのでしょうか。

それは、「この自分はいい」「この自分はだめ」というところから生まれています。

親を嫌っちゃだめ、優しくないとだめ、子供を一番にしないとだめ、世間に迷惑をかけてはだめ、そういう部分がない自分はいい…。

また、「この感情は感じていい」「この感情は感じてはだめ」といったことも、大きく影響しています。

「怒ってはだめ」「憎んではだめ」「嫌ってはだめ」「嫉妬してはだめ」「泣いて悲しんではだめ」、人に嫌味にならない程度に喜んだり、楽しんだりするのはいいけれど、といった感じです。

本来、どんな感情も感じていいのです。

というより、その感じている感情が、その時の自分そのものです。

だからこそ、嫌っている小さい頃の自分を受け入れていく、許していくことがとても大切で、それは今の大人の自分のことをも受け入れ許していくことに繋がります。

私も虐待したり、感情的に怒りをぶつけていいとはもちろん思いません。

けれどもそうしたくないのに、そうなってしまっているということは、まずは、自分が自分を罰している、自分を嫌っている、責めてイライラしてしまっていることに気づく必要があります。

自分を責めているから、人のことも責めてしまうのです。

自分がこうしなければならないというところに縛られているので、子供にも、こうしなければならないと押し付けたり、そうさせようとしてしまいます。

自分の親や夫、周りの人に対しても同じことが言えます。

良い悪いではなく、正しい、間違っているではなく、ただシンプルに今の自分がどうなのかということを感じることが自分自身を許し、受け入れ、自分とつながっていくための第一歩になるのです。

私は、自分を受け入れれば受け入れるほど、娘のことをそのまんまの娘の状態で見られるようになっていきました。

そのままの状態で見れば見るほど、娘のことをどんどんかわいいと感じるようになっていきました。

自分の罪悪感のフィルターをとおすのではなく、娘の放つ輝きをそのまま見れば見るほど、なんてかわいいんだろうということがどんどん増えていきました。

そしてどんな状態の時にも、私を愛し続けてくれる娘への感謝の思いが湧いてきました。

このレッスンを通して、娘が、家族が、私が本来の自分自身の状態に還っていく手助けをしてくれているということにも、心の底からありがたいなと感じたのでした。

自分自身とつながっていくための、大きなギフトだった

娘のことを可愛く思えるようになればなるほど、夫との関係もよくなり、母との関係もよくなっていきました。

そのプロセスの中には多くの葛藤があり、波風が立つことも、たくさんありましたが、自分と向き合い、真の自分自身とつながっていくことで、また、自分とつながっている分だけ、家族、周りの人とのコミュンケーションが良くなっていきました。

そう思うと、娘を可愛いと思えないという、その時の私にはとても深刻な悩みでさえ、私が自分自身とつながっていくための、大きなギフトだったと思います。

今、毎日、娘をかわいいと感じる瞬間があります。

息子をかわいいと感じる瞬間があります。

そんな日々がとてもうれしい。

小さい頃から子供が大嫌いだった私が二人の子の母となり、毎日、幸せを感じられているということが、自分でも不思議な感じがします。

娘に対して感じることを通して、自分自身と向きあい続けることで、あんなに葛藤を抱えていた母との関係が変わり、夫との関係がより良く変わっていきました。

先日も娘を思いっきり叱って、大泣きさせたことがありました。

その後、お風呂に入って娘とこんな会話をしました。

娘:「さっきはいっぱい泣いちゃった」

私:「そうだね」

娘:「でも、なんだかスッキリした!」

私:「(ちょっと驚きながら)そうなんだね!?」

娘:「でも、ママもスッキリしたでしょう? 泣いたり怒ったりすると、たまっていたものが出ていくんだよ」

自分の感情というものにフタをするのではなく、こんなふうに感情と付き合えている娘の姿が私はとてもうれしいのです。

そう、確かに泣いたり怒ったりすると、たまったものが出て行ってスッキリする(笑)。

泣くことも怒ることも、悪くない。

感じて味わっていいもの。

悪いものとしてフタをしてしまうのではなく。

この先も波風が立つ時や悩むことがあるかもしれません。

その時に感じるどんな感情も感じて味わっていく。

そうすればするほど、人生が自分のものになっていく。

私はそんなふうに感じています。

長くなりましたが、お読みくださり、ありがとうございました!

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